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受験生の君たちへ日記。
今は受験シーズンである。
国立大学の2次試験が行われようとしている。
私の母も父も大学を卒業しているが、自慢はしない。
ましてや、大学名だけで人を決めたりはしない。
更に、大学名は譲ってもいいが、学部や学科は譲ってはいけない。
1流大学と呼ばれる大学に入ったからといってそこで終わりではない。
入学後からがスタートなのである。
周りの人の大学と比較して劣等感を持たないで欲しいと私は思う。
確かに有名な大学であることにに越したことはないが、私は何人もの勉強のし過ぎで心を病んでしまった人を見た。
そして、行ってみないと、入学してみないと大学の良さは分からない。
果たしてその大学で何をやりたいのか。
それがはっきりしている人は強い。
例えば将来、教員になりたいとか、スポーツがやりたいなどである。
偏差値に惑わされないで、自分のやりたいことがやれる大学を選んで欲しい。
将来、社会に出た時に役立つ知識や技能を身につける場所が大学である。
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如月日記
いよいよ今日から2月である。
如月である。
人生は辛い。最近よく思う。
友人との軋轢もキツい。揉めることもたまにある。
悲しいことを受け入れなければやっては行けない。
勿論、いいこともあるが。
さて、もうすぐ立春で暦の上では春である。
節分の日には豆をまきたい。福は内である。
あと、2月はうるう年を除いては28日までである。
少し短い月、それが如月である。
挑戦することを胸に刻みたいと私は思う。
そして、楽しく生きることをモットーにしたい。
そして、気温も上がる。暖かい日が増えてくる。
1月は辛かったので、2月はいい月であります様に。
忙しい時に限って立て続けに用が入る。
で、暇な時は何もない。
頼むぜ!如月。以上ー如月日記であった。
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生きてこそ日記
生きることは辛いことである。
でも、その分少しの喜びもあるから生きてゆける。
大切なのは、感じることをできることが、幸せであるということである。
嗅ぐ、触る、観る、聴く、味わうなどがそうである。
あとは、人生に行き詰まったら、生きがいを見つけてみることである。
時間を忘れて打ち込めるものに打ち込むことである。
何でもいいのである。
打ち込むことが何かしらあるはずである。
無いという人はめったにいない。
でも、どうしても無いという人は「食う寝る遊ぶ」になってしまうのだろう。
散歩もいいし、ジムで汗を流すのもいい。
笑うこともいいのである。
生きていさえばいいことがあるのである。
そして、どうしても、生きているのが嫌だったら休んでみるのが良いと私は思う。
のんびりお風呂に浸かって休むでもいい。
だけど、生きていることだけはやめないで欲しい。
それは、人間とは何か意味があって生まれて来たのだと思うからである。
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生きづらい日記
コミニュケーション能力に乏しい人は生きづらい。
私もどちらかと言えばその部類に入るかもしれない。
そういうものを習得するべき時期に習得できなかった。
これは、家の事情もあった。
いつまでも、大人になりきれない感がある。
しかし、行き方を変えれば生きてゆくことはできると私は思う。
結婚を無理してしようとしたり、正社員に無理してなろうとしたり。
「37にもなって」という言葉に苦しんだりしなければ生きてゆける。
確かにもう大人であるが、大切な部分が抜け落ちている。
正直、辛く、生きづらい。
そして、優しくて、真面目で、純粋な人が傷付く時代である。
私にも思い当たる節はある。あまりにも私の背負った荷物は重すぎた。
もう、頑張らなくていいのであろう。
出来る範囲で頑張れば良いのである。こうなってしまった、そんな自分を許してやろう。
認めてやろう。好きになろう。受け入れてやろう。
そして、生きているだけで十分だと自分に言い聞かせよう。
以上ー生きづらい日記であった。 |
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一生青春日記
サッカーは私が小学生の時に習い始めた。
最初はボールを蹴っても浮かなくて苦労した。
低学年の頃は試合に出して貰えたが、前半か後半のどちらかのみであった。
高学年になって、バックスからフォワードになった。
そして、得点を取るようになる。
そして、中学生迄部活をやった。
高校時代は体の調子が悪くて部活はできなかった。
しかし、人生は一生青春である。
大人になっても老人になっても、青春なのである。
ちなみに、サッカーは格闘技である。私は最近はサッカーは、やっていない。
しかし、部活が満足にできなかった青春時代を取り戻す必要がある。
そして、自分に打ち克つ必要がある。
負け犬人生はもう終わりにしたい。
以上ー一生青春日記であった。
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